kanoko

起きて。食って。うんち出して。寝る。

絵を描くことについて

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Instagram  <kano620>より

「この世界はみえないものに溢れている

 

 微生物やウィルス、発酵なんかもそうだな。

 

 全部とらえているものを描いてみました。

 

 絵を描いていると、最初はわからないけど

 どんどん探って、呼吸を聞いて

 そのリズムを捉えると手が勝手に進みます。

 

 頭で考えるよりも先にimageが噴水のように

 出てきてペン先でなぞる感じなんです。

 

 描きたいものというよりも、描いて!みたいな気になってきて、

 たまに自分が乗っ取られている気すらしてきます。

 

 それで出来た作品は、なんだか自分が描いた感じがしないから

 逆に出来上がりがおもしろい。

 

 新鮮な気持ちで見れるんです。

 

 なんだか最近は、畑の野菜をみても、続く雨雲だったり

 ウィルスのこととかも、ひっくるめて『生命』について

 敏感になってる気がします。

 

 生命に備わる美しさや不思議さ、全部あいまいだけど

 その曖昧さの中で自分で確かなものを探っていく所業が

 尊いなとおもうんです。

 

 あ、珍しく長文だ。

 多分ブログにかくかもだ。」

 

と書いたわけですが、うん。確かに言いたいな・言語化したいなと思ってたことがふつふつと温まり地上に芽吹きそうなので、もう一踏ん張り、言葉にして記しておこうと思うのです。

 今日、いつもよりも時間をかけて描いた絵が相当気に入ったのです。見る人によっては「気持ち悪いな」とか「怖いな」と思うかもしれないんですけど、私はすごく気に入ってます。他の絵ももちろん気に入っているのですが(下の方に載せていきますね)太いペンで描くアニマルたちはそれぞれ私の心がときめいた動物なんです。これらを描くときは、細いペンで描く時とはリズムがなんだか違うんです。「迷いがない」と言えば良いのか・・・。下書きをして、どうかっこよくとか美しくとか、人間基準の見え方を無意識に意識してるんだと思います。柄やラインの太さなんかを、何度も見ながら確認します。

 なんと入っても私は完璧主義者なので、完璧ではない作品を見せることは裸を見られるよりも恥ずかしいことなんです。だから、アニマルたちは自分なりの完璧な段階まで仕上げて額装します。でも今日かいた「ヒト」は全然完璧ではありません。それなのに、自分的にはすごく気に入ってます。

 

 描いてる最中、いろいろな想像が膨らむのです。形にならないもの、目にはみえないけど存在するもの、そのモノたちの姿や形、見ることができない、はずなのに捉えられてるような気がして描き進めます。正直に嘘なく、純粋に・・・。感じたまんまの純度でペンに落とします。

 

 コトバでは、覆いきれない余剰としてはみ出してしまうモノを描いている気がします。絵は私にとって鏡のような存在です。心のモヤモヤを見えるモノとして映し出すもの、嫉妬や嫌悪、言うに言えない不満や不安が変な形をしていたり、違和感のあるものとして形になり描いている気がします。生きていき続けることは、当たり前として語られてきました。でも、時に本当にしんどくなることに出くわすことがあります。それは、人それぞれきっと異なる出来事です。

 

 ベクトルはちがくとも、笑顔満点で「今まで辛いことが何一つなかった」と言う人を、私はあまり信じることができません。そんな出来事があった時、「ここが痛い」という痛みは他者と共有することはできません。イメージすることができても、一緒に痛みを感じることはできないのです。でも当事者(自分)は感じます。それをなんとか、他者に伝えようとします。この「痛み」の存在は非常に大事なものだと思うんです。

 

 全てがすべて、痛みから派生して描いているのかと誤解されることがあるのですが、それは少し違います。「コトバにできない」ものを描いているのです。私からみた、世界や社会の見取り図のようなもの。ヘンテコな生き物、変な風景、遠近法のおかしいもの・・・。とらわれずに生み出し続けることは、面白くたのしいことです。やっぱり、コトバよりも絵の方が伝わるかな。笑

 

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いろんな見えないものが蠢いてる絵(お気に入り)

 

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細いペンの絵たち

 

 



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太いペンのアニマル

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自画像

 あ、この前個展用で具志堅くんの三線と私の絵で映像をつくりました。

もしお暇な方は、見てください。

 

www.youtube.com

こんな刻(とき)だから

 こんな刻だから、想うことがたくさんある。私が沖縄に来て早1年経つ。早いはやい。毎日が猛スピードで進行していって、気づくと便利なアプリやsnsが進化していっている。たまに見るニュースはあいも変わらず、いろんな事件が多発しているのがわかる。

 

 コロナも大変だ。おかげで、久々に思いたち関東に帰省してお母さんの美味しいご飯を食べたいと思ったのにやめた。こんな刻だから・・・想うことがある。

 

 「安心」とはなんだろうか。本質とか、正解とかは全くわからないけど私が信じて・感じて・想うことは「自分でつくれる」ことはとっても安心するなと・・・。食べ物と水は人間が生きていく上で必要不可欠だ。みんなスーパーで買い込むものを、自分で作れたら、そこには「安心」がある。村に来て、10ヶ月わたしは耕しまくった。仲間の手ももちろん借りて、今は20種類を超える野菜がすくすくと育ってくれた。

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 「ここは畑に適していない」と近所の人は言った。それは、隣の大浦湾からくる潮風と台風の影響だ。確かに、出荷するまでの生産量は見込めない。けど約250坪あれば、野菜に困らない。家庭菜園でお金はあまりかけたくない。だから、海草や腐葉土、人間のうんちと知恵を駆使して今のガーデンは作られてる。もちろん、ホームセンターで必要最低限は買った。無理のない位バイト代を使った。あと、近所の人からいろんなものをもらった、苗や種、花のほとんどが貰い物だ。

 

 『畝(うね)』の意味もわからず、初めはウィキペディアで調べまくった。おかげで、野菜はスーパーで買っていない。あと畑でアルバイトしているので、キャベツやズッキーニ、スナップエンドウを貰うことができる。本当に嬉しいことだ。この前は、近所の人からイノシシと廃鶏をもらった。美味しくいただいた。常に人に対して感謝でいっぱいになる。

 

 なにが言いたいかというと、大学で机にかじりつき政治経済を勉強して、ほとんど一切(実家でも)土に触っていなかった「畑ひよっこ」の私でも10ヶ月、いや8ヶ月あればサイズは小さいけど3人が食うに困らない野菜を育てることが出来るんだ!というのを伝えたかったのだ。それも、怠惰な私は自分のガーデンを毎日勤勉に管理している訳ではない。気分転換に、植物の成長どうかなーという具合に見ているので、週に真面目に3時間とかガーデン作業をするのは1回くらいしかない。それでも、彼ら(野菜たち)は育ってくれる。出荷する訳ではないので、形なんてものは個性的なほど愛着が湧くし、何より自らで育てたものは美味しいのだ。

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 そうして、もう一点、私がガーデンをやっていていいなと感じるのは「植物の成長」は「人間の時間」と関係なく、我が道をいく。例えば、私の心がどんなに荒くれ、荒廃していたとしても植物には関係なく成長していく。彼らは、植物の時間で生きている。人の心の波に関係なく、我が道をいくスタイルはコミュニティーという、常に変化の連続の生活の中でとても「安心」出来るものとして私の中に存在する。

 

 だから、コロナなどの世間で大きな波になるような出来事がある刻だからこそ、私は多くの人に家庭菜園をすすめたいと強く想う。お金によって、命を握られるのは私にとって、やっぱり怖いことだ。だからスーパーで野菜を「買う」から「つくる」にシフトすることができたら、また違う部分でそのお金を使うことが出来る。

 

 余談ではあるが、ここワカゲノイタリ村は水道代は払っていない。村長の具志堅くんは凄くて、洗濯や洗い物で使う水は川水から引いていて、飲み水は湧き水からとっている。この川水を引き上げるシステム(正直私はあまり理解していないのだが)も一緒に住んでいる仲間とつくってしまったのだ。この、ものづくりの部分は、本当に尊敬する。こうして、自分たちの身の回りの食べ物やものをつくれる技術・知恵を持つことは、やっぱり先行き不安なこの国に住むサバイブ法として身につけて損はないなと思うので、小さな所から自分の生活を「委ねる」から、「つくる」に変わっていったら、もっと生きやすいその中になるなと思うのです。

 

 政治というのは、選挙の時のみ姿を表すものではなくて、常に生活と共にある生命体みたいだなぁと最近よく思います。それは、自分が大学にいるときに捉えていた「政治」はなんだか、無機質で冷たくて、白・黒のイメージで心の中で常に与党に反発している部分があったけど、こうして学生ではなくなって「生活」に力点を置くようになっていくと、逆に自分自身が「政治」に身を委ねていたんだなと実感します。電気やガス、水道、食べるものなんかを無意識に楽な方に楽な方にと流されて、そこに思考を入れずにぬくぬく過ごしていたなと、テレビに映るものだけを「政治」と捉えて狭い視野だったことを痛感します。全部がみんなシフトすれば良い、万事解決というものではないとも思う。だからこそ、自分の足元から手を使って、自分たちの政治を自分たちの手で奪取していけたら、きっとそこから見える社会や世界は、世知辛い世の中じゃなくなる気がするんですよね。

 

 人間がつくった「政治」という生命体と、どう付き合っていくか。どうコネクトしていくか・・・きっと、これからいろんな場面で問われてくる気がします。その時に、自分はどう答えるか悩みながら、手と足を動かして考えていくことは、とても尊いことだと思います。自分ができるところから、やっていきましょ。

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沖縄県名護市 ワカゲノイタリ村にて。

社会に出た私は鯨に食われた

 

 二者択一ではない新しい選択肢。
オルタナティブ」というキーワードは、どこか自分の中に常にある気がする。それは、中・高の自由の森学園での感性を中心に据えた学びや、大学の卒業論文のテーマである「持続可能な社会への転換」として、小規模コミュニティーについて書いたこと、そして現在わたしが沖縄県のワカゲノイタリ村というコミュニティーに住んでいること。このオルタナティブに関しての軸索は、きっと全て繋がっている。

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 オルタナティブの道を模索していったのは、きっと色々な原因がある。テレビで原発が爆発したのを目の当たりにしたことや、震災から1年後に南三陸町に行った時にみた傷跡の数々、常に米軍機が飛んでいる非日常の沖縄の空など、18歳までにこの目で見た日本の姿は嘘だらけだったように思う。嘘はみることが難しい、そんなように思う。ただただ消費者になっている時、嘘は真実になる。思考が停止している時も、嘘は知らず知らずのうちに処理される。この足で「真実」を探すこと他ならないと気づいた。

 

 大学に入ってからは、「真実」をみる足を止めて、あたまを働かすことに専念した。それは、情熱やパッション、「社会を変えたい」という思いが強くなればなるほど同時に、「では、どうしたら自分の理想の社会になるのか」という考えがぐるぐる回転数をあげ思考を回っていたからだ。物事に対しての意思表示は、反対という言葉で示すことができる。しかし、反対における代替案は何かということが私にとって最も大切な問いの一つになる。この代替案になるものを探している道の途中で「オルタナティブ」という言葉に出会った。

 

 大学の構内で知る学びや、学外にでた時に直面する学び、様々なヒト・モノ・コトから刺激を受けた。70年代アメリカのカウンターカルチャーや、インドのラダックの赴いた際にみた質素で豊かな循環型の暮らし、路上のアートや意思表示としてのグラフィティーカルチャーなど、全部書くときりがないほどにこの頭の中でストックされたことは沢山ある。この中で、自分は何を選択して生活に落とし込んでいくかというのが、卒業時の私の問いになった。管理されきった生活の中を少し抜け出た時に見える、景色が社会を変える(システムをずらす)ヒントになるような気がした。これは、与えられるものではなく、自分で一歩外に出てみることから始まることだった。

 

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 大学卒業と同時に、生活の拠点を沖縄に変えた。はじめて学生という身分ではなくなり、社会人となったのだ。はじめて体感するニュートラルな社会は、まるで大きな鯨に飲み込まれたような感覚だった。今までは、少し離れた沖から海を見ることができていたが、社会に出るとは気づかない間に大きな鯨に食べられてしまうことなのだ。生活をするために稼いだり、家事をしたりすることで時間が過ぎさり、内にこもり今まで見ていた視野とは幾分異なる体内時計の中で過ごすようになっていった。そして、それが当たり前の日常にとなり、社会問題やどう生きたいかというのが置き去りになり、受動的に日々をこなすようになっていく。しかし、鯨に飲み込まれないのが最良であるかといったらまた違うように思う。それは、確かに存在するであろう鯨を否定して生活を営むことは無理に等しいからである。生活するために、お金は必要である。そのためには社会の中で、どんな手段であれお金を得る必要がある。大事なのは、次である。もし、情勢や世界の動きが怪しくなった時に鯨の腹の中にいてはその問題は回避できないだけだはなく、感知すらできなくなってしまう。日々に忙殺される腹の中では、炭鉱のカナリアが鳴いていることすら気づかない。まさに、私は文章の作法にあるまじき宙吊りなことを言っている。

 

 でも、これがオルタナティブということなのではないだろうか。コインには表と裏の両面が存在する。しかし、コインを立てた時には長方形にも見える。パーマカルチャーや、エシカル消費、循環型社会、コミュニティースローフードなどどれも単純な名称に過ぎず、これを信じれば絶対安心なわけではない。優良な手段になりうるが、名称ばかりが先行していてもあまり意味が伴わない。最も私が大切だと考えることは鯨の腹の中にいて、沖から眺める海の姿を知る視座を持つこと。いつだって、表と裏を持ち合わせながら長方形の部分に身を寄せ思考することが次のまだ見ぬ展開に繋がる緒(いとぐち)になると考えている。そのために土を耕し、バイトに出勤し、本を読み、友と食事をし、こうして文章を書いている。

 

 自らが今出した一つの答えに満足はしたくない。もっと世界を知覚したいし、新しい友に出会いたい、心弾むモノゴトと接したいし、創造的なコトをしていきたい。「どうしたら、自分の理想の社会になるか」正直、道のりは長いけど大事な問いとしてここにある。鯨の腹から見えるもの、大きな鯨よりも大きく包む海の景色。そこからは、何が見えている?

 

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土を作ることから、はじまる。始める。

  こっち(沖縄)にきて、もうすぐ2ヶ月が経とうとしている。いやはや、本当にあっという間である。一日一日が濃縮していて、濃厚でこうしてどこかに書き留めていないとすぐに過ぎ去ってしまいそうな気になる。 毎日が旅に出ている時のような出会いの数々で、きちんと意識していないとその奇跡的な出会いが「当たり前」と勘違いしそうになてしまう。だから、こうして綴って言葉にして、落とし込んで消化しないと・・・。忘れたくないし、時に身を任せたくないからさ。

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kanoko作 「手から社会を生み出す」の絵


 

 土を自分のこの手で、つくった話からはじめよう。

 今まで旅先で、豊かな生活をしている農家さんに沢山はなしを聞かせてもらった。けど、実際この手でつくったことがなかったから、知識では知ってたけど実践として知らなかった。自分のそんな所に、ずっと違和感を感じていたんだ。これは、土に限ったこととかではなくて、出来る・やれる環境は整っていたけど、どこか自分の内で「自分がやることでなくて、他人がやること」っていう線引きをしていたんだと思う。

 

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 でも、こっちにきて周りの同世代が楽しそうに菜園や土を触ってる姿に魅せられたんだ。「あ、なんか楽しそうだな」って。それから、自分が今寝たり、荷物を置いてる場所の近くを耕して、堆肥をとってきて混ぜ合わせて、雑草とかも抜いて2メートルくらいの正方形の菜園を2つ作ってみた。本当、初歩的なウネと畑の違いとかも、携帯で調べながら、みよう見真似でつくってみた。「これでいいのかな」とか、不安になりながらね。そんな小さな菜園に、オクラ・枝豆・トマト・大根が埋まっている。種はもらったものや、残飯とかからで、やってみた。

 

 種をポットに入れて、水やりをして、はじめに芽を出したのはオクラだった。もう、なんとも言えない嬉しい感情が出てきた。出来事としては、ただ芽が出ただけなのに、なんかもう、すんごく嬉しかったんだよね。他にも、違う場所で土を作っている時、自分が堆肥や油粕とかを混ぜて枯れ草を敷き詰めたベットが雨で濡れた後に指を突っ込んで、温かかった時も感動した。土が目には見えな部分で発酵しているのを体感として知れて、安心した。糸状菌っていう、白い菌もできてて教えてもらった友達には、「良い土の証拠だよ」って言ってくれて、嬉しかったな。何より、芽が出た時も土の温度を感じた時も、自分の心が喜んでいた。

 

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 こちらは、発見の数々です。まだまだ、自分が知らない世界は無限に広がっているような気がします。釣りをして、釣った魚を針からとる時も「当たり前」のスーパーの魚ではない、生で目の前で海から釣った魚として、なんか違うもののように感じた。この感覚って、すごく言葉にするのが難しい。なんだろうな、とても自分の生活とかと近い食べ物として認識できる。

 

 時間はかかるし、労力や手間を考えたら、もちろんスーパーとかの方が良いんだけども、その感動とか心の喜び、究極的に言うと「自己満足」が満たされるんだよね。もちろん、この自己満足には、社会性とか正義感とかは皆無なんだけど、本当に美味しいんだよね。みんなで食べることや、出来たトマトを菜園からつまみ食いすること、畑の島らっきょをそのまま泥が少しついた状態で食べることとか。多分、スーパーのトマトやらっきょもきっと、同じ味ではあるんだけど、その美味しさに心の充実度みたいのが上乗せされて、幸せになるんだろうね。

 

 今までさ、苦労することって、とても億劫なことだと思っていたんだけど、その苦労によって本当に美味しく感じて自分の心が喜ぶのを知って、苦労することに対しての認識が少しずつ変わってきてるなって思う。

 

 それは、土づくりだけではなくていろんな話に繋がっているような気がする。超忙しいアルバイトの時間を終えて夜のコンビニの前で仲間と吸う一本のたばこだったり、必死にレイアウトを考えて作ったポスターを宅急便の人が走って持ってきて、中身を確認する瞬間だったり、熱い太陽が照りつける日中に必死にスコップで石を敷き詰めた後に汗を流すために入る海の気持ちよさとか、この緩急を楽しめている自分に胸を張って「今」うれしいことに「自信」が持てるんだよね。だからさ、持論なんだけど、心の豊かさとかって言うのはオーガニックフードを食べることとかではなくて、本心から充実している状態、それを楽しめている状態のことを私の中では、「心が豊かさ」って定義できるな~と思うのです。

 

 大変なこともありますが、こんな感じでやっとります!

 

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 2019.5.21  ワカゲノイタリ村にて

いいことがいっぱいある

 

 

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 いいことがいっぱいある。

 

 

 寝ぼけた頭で、ゆっくり味わうように書こう。幸せだと思う記憶は、私の中にたくさんある。それは、とっても幸福な記憶。刻まれているっていうよりも、不意にじわじわとやってくる気分屋のやつ。例えばね。大分で、三人で車の中で外を眺めて見た、真っ暗な空にキラキラ光る星。自分が作ったふんどしを、誰かが買ってくれた時。家族で、どうでも良いことなのに楽しくて話が、終わらない時。自分のリズムと合う曲を見つけた時。私の最近のことをここに書こうと思うよ。なんでって、今はそんなアンニョイな気分だからね。

 

 

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 私には、越えられないだろうと思う先生の話。

 

 

 その先生は、私に「生活」を見してくれはしない。でも、知識の世界の波の乗り方を上手に教えてくれる。4年間くらい、お世話になっているかな。その人を通じて、いろんな友人を見つけることができた。でも、いっつも悔しい思いをさせる。きっと、私よりも私を信じてくれているからこそ、なんだと思うけど、私はそんなに大人になれないのだ。講義で扱うものは、シンパシーを感じるんだ。なんか、掴みたいけど掴むことが難しい感受性を眺めている。でも、それだけだと満足できないから、必死に掴もうとして、先生に食らいついてるよ。

 

 

 嫌われるのが怖い話。

 

 

 どんな時だって、私は嫌われるのが怖いんだ。優しくありたいって思うけども「優しい」って、何だろうと近頃考えてる。きっと、肩の力を入れた言葉を積めば、積み上げるほどに優しさから、離れてしまうんだろうというのが、この問いに対する私なりの回答。強い言葉は、政治やこの社会のことを考える時には、時には大事だと思う。だけれども、言葉の使い方は、きっともっとあるんだろうなと知ってるから、嫌になりすぎたら、その積み上げた言葉を捨てるようにしている。

 

 

 どこを見ているかの話。

 

 

 前までね、私は高い高い空をずっと見ていた。でも、そうすると首が疲れてしまったよ。その時初めてわかったの。空を眺めるのは、好きだけども心の底から行きたいのか?って。違うなと思った。今まで、自分が歩いてきた、この道の先にある未知なものの方に、行こうって。一気に高く飛ばなくたって、少しずつ飛んでいくこと、ゆっくり周りの景色とかを堪能しながら飛びたいって。前まで、居場所がわからなかった。みんなの会話に居心地の悪さを感じていた。でも、あんまり何も思わなくなった。それぞれが、違うフィールドの中でいろんなところで、きっと精一杯に飛んでるから。みんなの違う飛び方が、私は大好きだ。

 

 

 演じてしまう私の話。

 

 演じることって、きっとよくある。私だったら「東京が嫌い」って自分で自分を演じていたのかもしれないとふとね、思った。確かに、人混みとかは好きになれない。でも、私は東京で友達と会っている時は幸せを感じているな~と思い返してみたんだ。この前、半袖で後楽園の階段に座って友達と話をしていたら、あっという間に時間が過ぎた。その時、周りに見えた観覧車の緑の光や、東京ドームのUFO感が、たまらなく愛おしく思った。不思議だったな。ヘイトな感情が、いっぱいだったのに気づいたら、愛おしくなっているんだもん。なんだかんだ、都会の好きな一面もあるんだ。

 

 

 

Mighty crown×国際関係論

 

 

DELI  「俺ね、Mighty crownの知り合いか?って聞かれて、『うん』って言ったら服安くしてもらったよ」

 

Mighty「向こう(NY)に住んでた日本人とかが、(Mightyが)優勝してから、わかりやすい位、黒人の態度が変わったって言ってて、やっと共感できるポイントを見つけた。それまで、『ジャパニーズとかみんな敵』ってあったけど、それを取っ払えたのは、嬉しかったな」

 

            三宅洋平クロストーク「BAR SIDE SLIDE #2 Sami-T and friends」から抜粋

 

 

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 私は、国際関係を学んでいる1人の学生です。でも、国家間でのアクトの仕方だけではない、ソフトパワーが持つ、「平和」の作り方に注目したいと思い、この文章を書くことにしました。そう、上の文でわかるようにMighty crownという主体者(固有名)が、「見られ方」を変えたように、国の印象だけではなく、固有名が持つパワーに着目して、形作られた国家というイメージのステレオタイプから脱却して、国際関係を新たに考えていくことをしていきたい。固有名に関する補助線としてMighty crownという人物を紹介したい。

 

 

 Mighty crownとは?

 

 1991年に結成された、ダンスホールレゲエを中心とするDJで横浜を拠点に今も活動している。彼を有名にしたのは、「サウンドクラッシュ」と言えるだろう。「サウンドクラッシュ」とは、サウンド同士の音の戦いで、選曲、絡めたMCのパフォーマンス、を評価基準にどのサウンドが会場のお客さんを盛り上げたかで、勝敗が決まる。そのサウンドクラッシュの世界大会が1999年にNYで行われ、Mighty crownは「日本人代表」として出場し、見事にアジア人初の優勝を勝ち取る。その後、世界各地で、行われる大会に出てて、タイトルを保有している。日本のレゲエ好きには、知らない人がいないくらいに有名な「横浜レゲエ祭」はMighty crownが主催している。

http://www.mightycrown.com/artist/参考f:id:shiraishikanoko:20171213152605j:plain

 

 彼が私に、見せてくれた景色は国と国という概念を取っ払って、人と人が繋がれる手段だ。その手段は、「政治学」や「国際関係論」という堅苦しいと教室で感じる学問分野をカルチャーという道筋から、馴染みやすいものに変換してくれる、と同時に個々人が持つ、「固有名」の力で「見られ方」は変わることを明示してくれた。この文章のタイトルから、わかるように、カルチャーと政治は密接な関係がある。いわば、文化とは政治(国家)が担いきれずに、漏れてしまった民衆(個々人)の声を具現化させたものだと私は、捉えている。

 

 それは、昨今のムーブメントとしてある「バックパッカー」や「旅」も同様のことが言える。私も含め、若者を旅へと誘う内的動機のどこかにはきっと、「今の管理社会から、どこか遠くに逃避したい」、「みんなと一緒は嫌だ」という既存の社会システムに対してのカウンター的側面を誰しもが、内包している気がしてならない。しかし、いくら遠くに行っても自分は「日本人」で、異郷人あることを突きつけられる。言い変えれば、海外に出れば誰もが、Mighty crownと同様に「日本代表」なのである。それは、それまでサッカー観戦で、客席という俯瞰できる位置から、瞬く間にピッチのプレーヤーとしての主体者に成らざる得ない状況に、自らを置くということなのだ。この「日本代表」としての主体的なプレーは、逆に相手ピッチのプレーヤー・相手のサポーターにあらゆる影響を与えられる可能性を持つ。この可能性は、それまでの客席に止まっていたら、生まれなかったものかもしれない。あなたが、ピッチに立ったからこそ、初めて発揮される「固有名」という名のパワーなのだ。

 

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ソフトパワーとハードパワー

 

 国際関係という学問の分野で、国家的な取り組みや他国に対しアプローチを示すものとして、「ハードパワー」という言葉が用いられる。例えば、現在のような「北朝鮮」のミサイル発射に対して、「日本」が行う対応や、「アメリカ」が「日本」と取り決めた、日米地位協定などのような、国家対国家という枠組みをさす。ハードパワーには、その国が保有する経済力や、軍事力がものを言う。それに対し、ソフトパワーとは、国家を介さずに個人の働きかけによって形成される、強制的ではない力を指す。ソフトパワーの生み出され方には、決まったルートがある訳ではない。だから、Mighty crownのようなサウンドクラッシュという土壌で、ソフトパワーが生む出されることもあるし、スポーツ分野ではそれこそ、多くの日本代表が世界で輝いている。ソフトパワーのソースは多様で、何よりも血筋や所属している国家ではなく、「名前」が重要なKeyになり得るのだ。冒頭で、書いたようにDELIはMighty crownという固有名を出すことによって、服を安くしてもらった。そして、Mighty crownの優勝によって周囲が日本人に対する態度が変わったこと、これはステレオタイプの「国家」→「〇〇人」という回路ではなく、「名前」→「国家」の想起の方法である。ソフトパワーはこの固有名に、力が宿っているのだ。

 

 この固有名が出現して初めて、人は「自分ごとのように考えることが可能」になるのだ。それは、リモコンを持ち、テレビにはない、人の温かみのような血管が通うということ。「日本の国は、好きではないけども◯◯(固有名)のことは好きだよ」という対話の道を開くことが出来る。そう、国家=〇〇人ではないのだ。もちろん、国際関係だけでなく、日々我々は(私も含めて)大学生=〇〇とか、社会人=〇〇とか、ゆとり世代は・・・とか、つい式を作り、先入観で語ってしまう。それは、自分の周囲に大学生や社会人がいないからだろう。本当に傷口を見せられる、友人を誰も罵倒はしない。

 

 ここで私自身の経験について、書こうと思う。朝鮮学校を卒業した友人がいる。彼女のことを、思い返しすと連日テレビで流れる北朝鮮報道に違和感を感じるのだ。彼女は、朝鮮にルーツを持つが、まだ一度も自分は行ったことがないと言っていた。(「朝鮮」という言葉を用いるのは、彼女が「北朝鮮」という言葉を用いずに、朝鮮と言っていたので、ここでは朝鮮と書く)朝鮮のことは嫌いではなく、自分のルーツだと話していた。そして、もし行けるのであれば朝鮮に行きたいとも言っていた。テレビのニュースを見ると、彼女のことを思い出す。彼女と、話してから私の朝鮮に関する印象が変わった。以前持っていた、よくわからなくて怖い、というものから、彼女を通して、身近な存在になったのだ。前にはなかった、新たな視点を私は固有名を介すことで獲得できた。それは、決してミサイルや国防とかハードな側面ではないものだ。

 

 でも、テレビなどの媒体を通して見る国際関係は、ハードパワーばかりで反感の意識を故意的に煽っているように見えてしまう。

 

 

f:id:shiraishikanoko:20171213152830j:plain ・ハードウォッチャーとしての国民

 

 そもそも、様々な事象に対して違和感を嗅ぎとる嗅覚は民主主義にとって重要な要素である。そして、権力は生き物なのだ。見て、健康状態を常々確認する必要がある。権力は、観察者が見ることを怠ると、あっという間に暴走してしまう。民主主義は決して、憲法の先生が教えるような多数決なんかではない。国民の意見を言い合い、ディベートを繰り返して、活動し意思を伝えるのが民主主義だと私は、考える。だから、あの時、憲法のテストで書いた答案に二言はない。(笑)単位は落としてしまったけども。

 

 権力を観察し続けることは、私の役目でもある。それは、将来海外でジャーナリストを、もしすることになって、日本人と言って銃で撃たれないために「今」出来ることだと考えるからだ。いくら、憲法に人権条項があっても、その権利の上で行為者が眠っていたら、夢から覚めた時にはなくなってしまっているかもしれない。自分を守るために、学問はある。だから、ハードな側面にしっかりと目を置きつつも、ソフトパワー推し進める立ち位置に私はいたい。

 

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・まとめ

 

 Mighty crownから始まり、固有名がもたらすPEACE、発想の転換、権力の暴走と、ここまでつらつらと書いてきました。読んでくれて、ありがとうございます。きっと、書いてきた「国際関係」というのは、一つのメタファー(例え)に過ぎず、この固有名が持つパワーは様々なところで発揮されます(されています)。それは、LGBTゆとり世代など、個人の持つ固定概念の数だけ、打ち砕ける可能性が拓けます。「日本の国は、好きじゃないけど、あいつは好きだよ」と言わせることの出来る人間になりたいですね。その意味でMighty crownは、本当にすごい人です。もちろん、彼だけでなく世界で活躍してる人がいるだけで、ソフトパワーの力は発揮されています。素敵なことです。確かに、軍事や経済を用いて、他国にアクトすることで国益的な側面の富や、自国主義は満たされる部分もあるでしょう。でも、もっと違うアクターたちが、すでに世界中に散らばり多様性を知らせてます。なんだか、これはグローバリゼーションの良い側面のように感じます。他国に対して、何かを行っているのは、何も国家だけではない。個人、個人ですでにこのムーブメントは始まってるのです。だから、どうか反感意識よりも、固有名・友人をつくって対話して下さい。私も、意見が全然違う人たちと、共感出来るポイントを見つけるようにしたいです。 

何も、アクターはハードな側面だけでなく、この「私」という固有名から可能なのですから。世界を自分たちの遊び場に、これからもしていきたいですね。

 

 

 

私タイにいる

私タイにいる

 

 すれ違う人々に、親近感が湧く。顔が似ているからだろう。野良か、飼いの区別を超えて犬たちが、人懐っこく、愛らしい。寝る時、目を覚ます時、波の音が耳に入る。ここは、南国ダァ。バイクで、超える山道はジェットコースターのよう。美味しい、シェイクに五感が痺れ、ご飯はいつも、あのお店で食べる。決まり切った日常からは、半年前にバイバイしてから、特にやり遂げたものはない。ただただ、自分は何が好きで、どんなところにいたいと思うかを知るだけだ。

 

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 (今、いる所から昨日散歩した時の道中。沖縄の北部のような雄大な自然)

 

 ぁあ、バカンスだ。将来、こんな所に住みたい。朝、海に入り、太陽で体を乾かして、美味しいご飯を食べる。今、私はタイはタイでも、バンコクから約7時間の離島であるチャーン島という所の南の奥にある、〇〇ビーチにいる。タイの最後の秘境と言われている。他のタイの場所は、リゾート観光で開発されていくが、ここは唯一廃れの一歩を辿っている。お店は、潰れて、ビーチに繋がる橋にあった看板も、崩れ落ちてしまった。ここには、辿りつく日本人は少ない。

 

 そんな、レアな日本人にここで、会うことができた。歳は私と、同い年の大学生。ちなみに、キャンパスも近かった。2人は、相当の物好きできっと日本に帰って、あの性格をブリブリに出したら、法律に引っかかりもれなく前科がつくことだろう。そんな、楽しい日本人に教えてもらって、宇宙まで美味しさが届くようにと名付けられた「スペースケーキ」を食べに、お店に行った。店員さんは陽気なガイズで、あ~、あれね。という雰囲気で、持ってきてくれた。形状はチョコレートブラウニー。うん、美味しそうだ。ここまで、言っておいて私は食べていない。だって、お腹がいっぱいだったんだもん。

 

 タイに来て、時間について考えるようになった。楽しくて、忙しい時の時間はすぐに過ぎてしまう。「えっ、もうこんな時間」って具合に。退屈で、やることがない時は、時間本来の流れで感じるから少し長い気がする。時間そのものの流れは、一人の力ではどうすることもできない位に普遍的。でも、何人かの仲間とその時間を共有すると不思議と体感してる時間があっという間になる。タイは、毎日に区切りがない。だから夜の延長で、朝が来て、そのままお腹空いて1日になってるみたいな感じ。

 

 多分、私の中で年頃なのか・・・「何かしなきゃ。何かにならなきゃ」と思ってた。少し焦ってた。何か具体的なビジョンがあっての休学ではなかったから、どうしよう~って感じだった。でも、そんな「なんかしなきゃ」でやったことよりも、「これがしたい」で、やったものじゃないと、かっこいいモノはつくレません。と知りました。ひたすらに、貪欲に自分の見地を広めてる今ですね。何のためになるか、わからないけど「今」を未来に財産として貯金してるのです。

 

 もうちょっと、タイにいます。その後は、沖縄にいる予定です。その後の予定は、まだ決めてません。あっ、ワカゲノイタリ村での橋の下ロックよかったな。なんか、自分の仲間と友人が繋がるのって、ちょっとした幸せだよな~。こちら、南国の風土の影響で、文章がふわふわしてるのは愛嬌で。笑

 

f:id:shiraishikanoko:20170915125638j:plain(↑ここは、最近よく行くお店の外。夜もライトが美しいの)

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(↑その店内。こっちでは「レゲエバー」って言われてて、結構いろんな所にある)

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(↑目の前は透き通るビーチ。上を見上げれば、スカイブルー)f:id:shiraishikanoko:20170915125618j:plain

(↑いい時間のあの時)f:id:shiraishikanoko:20170915130101j:plain

(↑最後に、これが最近めっちゃ熱いと言われてるフェス。名護市二見の橋の下ロック)