kanoko

起きて。食って。うんち出して。寝る。

「人間らしい暮らし」って

 久々に描くペンも置いて、耕すのも休めて文章を書いてみようと思うのです。

 なんだか、いつも「おりゃっ、文章を描くぞ!」と力みすぎて、本当に伝えたいことと

 少しはなれてしまってる気もするから・・・。

 

最近、ふと「人間らしい暮らし」とは?という問いを考えている。正解や不正解なんて、そんな歯切れが良いモノではない問いな気がしてて、究極先に答えを言うときっとその人が楽しんでいたらなんでも良いのかな~思う。例えば、高山で日本酒を飲みながら絵本やを営むあのおじちゃんや、岡山の山奥で草木染めで帽子を作り幸せに暮らすあの夫婦や、土浦できっと家庭菜園をしながら静かに暮らしている彼や、大阪で週5日間しっかり子供の前で教壇に立ってる彼も・・・。きっと、生きて暮らしている。それぞれに面白い「人間らしい暮らし」の定義があるんだと思う。

 

 そんな中で、私にとっての「人間らしい暮らし」ってなんだろうな~って考える。きっと、それはささやかな幸せをどれくらい発見できるかなんだろうな~と想う。この時代に暗くなろうと思えば、テレビや情報に接すると間近にいつだってある気がする。だからこそ、些細なことを幸せに感じる感受性がこの世界のサバイブ術として大事なのかなって、例えばこの前あった出来事として豪雨の次の日に水が全く出なくなってしまったんだ。川水を引いてて、農業用水が集落内で完全にストップしたんだ。畑だけに使う水だったら、まだ良いんだけど・・・我々はシャワーも洗濯機もシンクの蛇口もこの水道だから、生活にダイレクトに影響しちゃったんだ。朝からオクラを収穫して、汗だくだくで帰ってもシャワーに浴びれないってのが3日くらい続くと、心もしんどくなってくるんだよね。今まで、当たり前にあったものが急に使えなくなることは、多い気がする。そんな時、しんどさと同時にありがたみに本当に痛感する。

 

 電気代の支払いを忘れてて、電気がしばらく使えない時もあった。あの時は、友達がラオスのお土産でくれた、ろうそくに本当に感謝した。周りには建物もないから光もない聞こえるのは海の音だけの場所で1人だったから心細かった。それでも、火があるだけで「こんなにも、安心感があるのか」って感動したんだ。暮らしをつくることとは、なんなのだろうか。不便しないことなのか・・・まとまらないけど、不便の中で暮らすと普通のことがとても嬉しく、幸せなことであるって再認識できる気がする。

 

 「人間らしい暮らし」よく食べて、よく寝て、たまにはハメを外しながら、真面目にやって、学びながら、悪戦苦闘して、好きな人と過ごして、幸せを身いっぱいに感じて、闇から逃げず、懸命にやってみることなのかな。「もう嫌だ!」と言って、どこかに行くのはいつだって出来て選択肢として、いつも持っておいて損はないモノだけど、そこからまだ学とれて吸収できるものがあるなら、その「暮らし」を続けたいなって想うんだ。

 

 自分のリズムが暮らしを作るのかなって、少し思う。どんな風な所でどんなご飯を食べたいか?くつろげるスペースには何があってほしいか?とか、自らに問いかける「?」のアンサーが暮らしをつくっていくのかな。生きることと、暮らすことと、仕事することに共通している自分だけのもの、それが枠をつくるのかな。

 

 この明確な答えは、やっぱり難しかった。でも自分の中にある「ふわっ」とした体感で習得した概念は少しずつ定まってきた気がするな~。まぁ、暑いので無理はしないで日々を過ごしましょうね。