kanoko

起きて。食って。うんち出して。寝る。

今より先を生きてる私へ

たまには、スケッチブックを置いて

文字を書くことも私の中で大事な儀式だ。

 

随分遠くまで、やってきた。

あの時想像できなかった場所や人に今囲まれて

日々、しょげたりもしながらも

「大人」ってのを楽しんでる。

 

解けない謎や、

どう考えているのかとか

まだまだ、全知全能にはなれてないし、

イケてて猛烈に稼げてて庭付き一戸建てを

買える程の稼ぎはないけど

胸を張れる今の人生、私の道を進んでる。

 

だから、もう少し未来の私

大丈夫。立ち止まって考えながら、

たまに羽目を外して遊んで、

少し傲慢にでもやりたいことや

生きたいと思える人が居るならやってみな。

案外、悪くないよ。

 

むしろ、想像が届かない、その彼方に

私の生き甲斐である「おもしろい」があるから。

 

多分、またこうやって思える自分がいるから。

 

間違ったとか、失敗しそうとか

その時に思えばいいよ。

 

世界地図の中心は確か、

イギリスだったけどその中心を決めるのは、

本来自分以外の何者でもない訳で

正しいのモノサシは強要するものでもないから、

自分の中でしっかり持って、

たまに人と話して崩したり

生成したりしながら暮らしていこう。

 

やっちまった時とか

「絶対に忘れない」って思う大事な

感情あるじゃん、あれさ、

結構忘れてしまいがちだから。

 

その時、

いかにホットであぁ~って嘆いても、

クールダウンして忘れかけたタイミングとか、

どこか慣れてしまったり地に足ついてないで

浮遊してしまってたりすると違う角度から、

忘れちゃいけないものがやってくるから。

その時、私は試されているんだぞ!って思いな。

 

「学習」できる自分を信じて、

「何が大切か」を今一度、

思考を巡らして自分が自分に対して

「それ、私かっこいいか?私にとって大事なんか?」

って考えてみて。それでも、

GOを自分が出せるなら良いと思う。

 

でも、違うと思うんだったら

未来に描いてる自分のために、やめとこ。

我慢とかじゃなくて、

冷静になった自分のために。

 

それと、そこを指摘してくれる人を

大切にしなね。大事なことなんだよ

 

自分まだまだっす。

ってのを、いつだって肝に銘じて。

 

いろんなものを吸収して、

自分のものにしていけたらそこに意味が生まれる。

けど、1人だけではやっぱり、

どうしたって生きていけない。

 

そんな自分も在るから、

「1人で生きるぞ」って孤独にならず、

「ちょっと、話聞いて~」って頼ることは、

弱さなんかじゃないから

どうか嫌悪せずに嘆いてもいいじゃない。

 

有名にならなくていいよ。

お金で魂を売っぱらわず、

譲れないものは譲れないとして。

 

でも、ナニゴトも絶対はないから

その時の私が「決断」したなら、

そこは任せる。

後悔したとしても、

そこに私の掛け金を置きたいって

思ったなら、その行為を応援するよ。

 

大切にしたいと思える人が、

そばに居るなら大事にしなね。

 

大事にって言葉を使うと、

ちょっとわかりづらくて、

いつか、しくじっちゃう私のためにもっと言うと、

今は好きで相手を「大切」にって、思えてるけど

時間と慣れは、いい作用と大事なことを

霞ませる作用を持っているから

人としてのリスペクトや感謝を忘れず。

 

コトバとか、わかりやすい表象の裏にある

そのコトバを言ってくれた「選択」

(言わなくたって良いって選択もある)に

ありがとうって思える心を持ち続けなね。

 

それと、いかに長く一緒に居たとしても

「他者」であることは変わりない訳で、

もちろん一緒に同じものを見たり

同じ経験を共有するから、きっと楽しいし、

わかり合えてるって感覚になる、

きっとそれは嘘ではないと思う。

 

でも頭の片隅に少しだけでいいから、

違う個性を持った「他者」であるから、

「完全」に分かり合うことはできないって、

覚えておいて。

 

いつか

「なんで、わかってくれないの」って

感情が出てきた時に、分かり合えないからこそ、

分かりあいたくて、そのために沢山コトバを

獲得して、相手を知って、1人では辿りつけなかった

地点にこの人とだったら、

行きたいって思った私を思い出してね。

 

単調な生活が続くのが苦手な私だから、

そこを満たすのを他者に委ねるんじゃなくて

自分でいつだって動きなね。

 

環境が固まって、現在地が定まってくると

「先が見える」って思えるけど、あくまでそれは、

その時の現在地から見える風景でしかないから。

 

この世界は私が歩いていけば見えない世界は

続いてるってことを、思い続けて。

 

そこから動けない自分を人のせいにしないで。

動かないって選択したのは、私なんだから。

もし、そのことを言える相手が居るなら

一緒に見に行ってもいいね。

 

そこは、私の悪い所なんかじゃなくて

癖みたいなものだから。

 

刺激というものは、

私にとって必須な栄養素なんだと思う。

だから興味が湧いたものや本とか映画とか、

読みたいと思ったものは

時間を削ってでも見て吸収していきなね。

もはや趣味なんかじゃなくて生を楽しむために

私にとって必須なものなんだと思う。

 

最後に、

きっと言わなくてものやってるのかな。

描きなね。

もしも、見る人が居ないとしても「生み」出し続けて、

カタチにコトバにできないものを、見えるようにする行為を

わたしのためだけにでもいいから。

沢山じゃなくていい、自分がいいと思えるまで。

この山の先の景色がやっぱり私は見たいんだ。

 

2023.12.20 28歳.激動で思い出深く最高な1年だった私より