kanoko

起きて。食って。うんち出して。寝る。

日本大学法学部政治経済学科国際関係専門コース三年生。何も私のことわからないでしょ。だから、書きたいの。

あの時代のこと

あの時代のこと

 

  

  

  ひめゆり学徒隊、ガマ、平和の礎。夢、孤独、絶え間ない砲弾の音。

  その現場を私は、この眼で見ていないし、体験もしていない。

  しかし、知っている。なぜか、小学校の社会の授業、今まで見えきた様々な映画、

  人の話・・・。様々な瞬間に、教えられてきた。

 

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 今も、平和の礎には「牛嶋満」の名前も、米国人の名前も朝鮮人の名前も、ウチナンチュの名前も石に刻まれている。これは、何を意味するのか?私には、想像することすら容易じゃない。でも、刻まれているという事実は確かにあった。

 

 3年ほど前に、一つのガマについて調べ、ツアーのガイドとして説明するという機会があった。当時、「沖縄戦」という言葉は文章の中の言葉だった。平和記念公園の展示も、どこかチープの出来合いのモノのように思っていた。この展示の嘆きは、どこか非現実的な事象としてあるだけだった。ガマについての知識もおぼつかないまま、一つの「アブチラガマ」と出会うことになった。

 

 熱い日だった。最初で最後かもしれない、ガマのガイドとして、できる限りの予備知識は頭に叩き込んだ。でも、どれも活字でしかなく、生の知識とは言えなかった。そんな、空上の浮き足立ったままガマに入り、調べたことを沢山話した。自分の中の大切な言葉が、言ってはかき消され、消費されているような気がした。

 

 そんなことを思いながらも、与えられた機会を享受するように後半に差し掛かった。最後に私が、予定していたのは、懐中電灯を全員が消して、戦時中、沖縄のこの地、このガマにいた人々はどんな気分だったか、というのを体感してみるプログラムだった。一人、二人と手持ちのスマホや懐中電灯を消していった。簡単に、明るくなれる現代のガジェットは全て消えた。目の前に人がいるのかも、見えない。本当に真っ暗だった。耳を研ぎ澄ますと、かすかに人の呼吸の音と、洞窟の湿り気をつくる雫の音が耳に入った。耳に注意を向けて、自分はガイドなのだという自尊心が膨れ上がってきた。怖い。寒気がしてきた。

 

 本来のプログラム通りに遂行するなら、ここで私がこのガマで「ナニガオキタカ」を話さねければ、いけない。言葉が出てこない。夜の奥に、沈み込むように金縛りのような状態に陥った。真っ暗で、助けも呼べない。周りに人がいるかどうかも、わからなかった。この世の中に、自分一人しかいないような気持ちになった。体感時間として、長い時間が流れた。この暗黒に、耐えきれなくて私は手持ちの懐中電灯の明かりを灯した。闇に飲み込まれそうだった心から、スーーーっとかすかな光に包まれるようだった。人の顔を認識できて、表情や情景がわかる。そんな、当たり前のことに安心した。みんなが、次々と明かりを灯してから、少しの沈黙が続き、私が言えたのはたった一言だけだった。

 

「どうだったですか?」

 

 普段、話しているような気の利いた一言も言えなかった。今こうして、あの時のことを振り返ると、本当に「現実」だったのかも、わからない。でも、私の記憶の中には確かにある。今まで経験した、どんなことよりも深い闇の奥の断片を見た気がする。言葉で言い表すのには、確かに限界がある。どんな戦争の映画や、話よりも、あの時に体全体で感じた恐怖は私にとって「現実」だった。今まさに、日本は再び、戦争ができる国へと踏み込もうとしている。あの経験を通して、人が感じてはならない恐怖があることを知った今、もう二度と戦争や暗く奈落に落ちてしまうような体感はしたくないと思う。あの明かりがついた、安心感を私は忘れたくない。