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起きて。食って。うんち出して。寝る。

「タルマーリーの思想」IN滋賀大学

「タルマーリーの思想」IN滋賀大学

 

 「懐かしいなぁ」と、彦根の駅に着いて、ふと、思った。私が、高校生の時に次の進路に悩んでいて、ふらっと関西方面の様々な所を回ったことがある。その時、弾丸であるにも関わらずに、琵琶湖の見える美しい家に泊めてもらったことがあった。あの時に食べた、美味しいパンと絵本の感想会については、すごく自分の頭に鮮明に残っている。

 

 そして、「もう一度会いたいな」と漠然と思ってる中、一つの転機があった。それは、私が愛読していた『腐る経済』という本を書いた、渡邉格さんが、滋賀大学で講演するというものだった。ちなみに、滋賀でお世話になった家族の旦那さんが、大学教授で講義のゲストスピーカーとして、格さんを呼んだのだ。こんな、大好きな人に同時に会える機会なんて、滅多にない!と

思い、電車を乗り継いで、彦根駅にやってきたのだ。

 

 この滋賀大学の「ものひと地域研究会」という講義では、多彩なゲストスピーカーと共に学びを深める時間になっている。例えば、私もこれから行く「ワカゲノイタリ村」という沖縄にある、若者の村をつくった村長が話しをしたり、東京でアーティストでありcoolな選挙活動を展開した三宅洋平さんを呼んだり、ゲストスピーカーだけではなく、持続可能な暮らし方の模索をしているような、私にとってすごく魅力的な講義のプログラムだった。(ぜひ、日本大学にもこんな講義をつくりたいなぁと妄想中)この、プログラムの中に格さんが話すのだ。

 

 私は、一人で静かに大興奮していた。

 

 久しぶりに、大学のチャイムを聞いた。

 

 キーンコーン・カーンコーン

 

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「常識外れのパン屋さん」

 

 最初は、この言葉からだった。格さんはパン屋を始める前は、パチプロやバンドマンなどで、生活はボロボロ。そんな中、22歳で行ったハンガリーで「食の豊かさ」に驚き、放置している食べ物が腐る、そんな添加物が入っていない食に馴れ親しむ。そして日本に帰国して、以前は大好きだった缶コーヒーが絵の具の味に感じるなど、自身の中で変化を感じる。それから人の体をつくる食について、興味をもち、農業大学への進学を決意。

 

 大学卒業後、「農家になりたい!」と思いはしたが、都会で生まれ育った、自分が田舎でやっていくことはできるのだろうか・・・と思い留まり、30歳の新卒として、食品の会社で働き始める。そんなある日、突然の吐き気が格さんを襲う。日々のストレス、やるせない気持ちが重なり体調不良で会社を退社する。働き始めて2年間、仕事をしたが結局、家の家賃や光熱費などで、手元に残ったお金は5000円だけだった。

 

夢の中で、会ったこともないおじいちゃんに、パン屋をやれ

 

 そんな格さんが、いつものように寝ていると、一度も会ったことがない、おじいちゃんが夢に現れた。そして、「パン屋をやれ」と告げる。しかし、今まで一度もパンなんて作ったことがないのに、突然言われてもと悩むが、二度目の決意をした。

 

「パン屋さんになる」

 

それから、5年パン職人になるために修行し、独立。

現在では、鳥取県の智頭町という人口7000人ほどの、小さな町でパン屋タルマーリーの店長だ。このタルマーリーの特徴は、天然の酵母菌を用いてパンを作っていることだ。他にも、「飲むパン」と言われるほどパンと作り方が似ているビールなども、出す予定だ。少し、格さんの操る菌について、書くことにしよう。

 

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菌の仕事は分解!

 

 麹菌とは、味噌汁や醤油などに必要な菌で、日本人の食文化にとって、大事な要素である。しかし、この麹菌を純粋に降ろすことが、できる人は今の日本で4人しかいないらしい。この麹菌を天然に、降ろすためには、格さんが言うに3つの大切なことがある。一つに、自然環境である。水が綺麗で自然が多く残っている場所、その点、この智頭町は町の総面積で9割以上が森林ということで、クリアしているが、持続させていかないと美味しいパンは作れなくなってしまう。そのため、格さんは、自分の住んでる場所だけでなく地域としての雇用促進や様々な活動にも参加している。

 

 そして、2つ目に原材料がある。このタルマーリーのパンは牛乳と卵を使わない。その理由として、大きいのは遺伝子組換えが今やほとんどで使用されているという点だった。そして、もう一つの点として卵や、牛乳を使うことで均一的なパンになってしまうことの危惧もあると、話していた。「簡単にパンが作れるようになったら、つまらない。失敗がある方が面白い」と、効率・均一化された商品が並ぶ現代に対してのアンチ・テーゼのように私には、聞こえて、深く頷いてしまった。

 

 最後に3つ目の要素は、精神が大事だということだ。例えば、従業員の誰かの精神が困憊している時はうまく、パンが作れないという。不可思議かもしれないが、その現場をよく知っている格さんならではのポイントだった。この3つの要素が、うまく良い方向にハマった時に、天然の麹菌は集いあらゆるお仕事をしてくれるそうだ。

 

ワークライフバランスは現代の刀狩り!?

 

 格さんが話していて、印象的だったことがある。それは「技術」の話。技術とは、最終的に仕事に合わせて体が変化していくことだと、格さんは言う。そのため、タルマーリーは仕事と生活が切り離されずに一体になっている。そのため、従業員には一ヶ月の休暇はあるが、基本的にいつも働いてもらい、そして同じ釜の飯を喰らうように意図的にしている。このようにして、仕事に合わせて体を変化させていくことが、技術を習得することだと話していた。

 

 この話は、今まで私が見てきた農家さんの姿に重なって見えた。体や時間、生活リズムが作られていくというもので、「時間」が全て自分で使えるようになること。この点が、私を惹かせる「シゴト」の形のような気がした。

 

パンと社会は繋がっている

 

 講義の中では、時間という拘束があり、話も終盤に差し掛かってきた時「社会」というキーワードが出てきた。格さんは「おむつなし育児」の話を始めた。今の企業は、消費者のニーズに合わせて真剣に商品開発を行っている。その中で、4歳児用の紙おむつが、一つ出来上がったという。しかし、自分の子に「おむつなし育児」をすると、1歳の段階で、自分でうんちをする際は「うん、うん」と言って、うんちをしたい旨を伝えるようになった。話せない赤ちゃんとコミュニケーションが出来て、かつ、オムツを買わなくて良くなったという話をしてくれた。この経験から、見えてきたものとして・・・果たして、紙おむつをして4歳まで生活させるか、1歳の時点で「なし」の方にシフトするか、二つの選択肢が本来はあるのだという。はじめに、技術を考えた人は、きっと「人を幸せにするため」だったが、今の企業は、果たしてそうなのだろうか?「利益」のためになってはいないか?と、私たちに疑問を投げかけた。

 

 そして、いきすぎた成長戦略についても、自然の流れに反すると、すぐに腐敗してしまうのではないかとも言っていた。その反面で、自然界が許容していることもあるとも言っていた。それは、ある程度の科学と伝統を交じり合わすことも必要だという言葉だった。

 

 最後に、パンと社会は繋がっているだと付け加えた。例えば、林業との循環が、美味しい水と空気を生むこと。その美味しい水を用いて、自分はパンを作りたいということで、この菌を使って自分は「無から有を生む」ということを表現したいのだと、胸を張って言っていた。現代社会の中では、比較による幸福がありがちだが、そうではなく、自分の身体との対話の中で自分の幸せを模索することもできるのではないかと、自分の中の思い込みを疑うことから、自分にとっての幸せを再発見できるかもしれないと、教えてくれた。

 

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感じて想ったこと

 

 私の中で、これほど時間を短く感じたのは久しぶりだった。格さんの言葉が自分のノートに溢れて、追いつかない!という講演だった。格さんが講演の中でふと言ったことがある。

 

「利益が出てしまった」という言葉は、今まで仕事は利益を出すために行う労働だと思っていた、私の固定概念を打ち砕いてくれた。ただただ、こんな働き方もあるのかと、あらゆる選択肢が自分の頭の中で増えていった。そして、なによりも、生き方をパンという手段で表現している格さんがパンに秘めている、いろんなメッセージをこの講演を通して垣間観ることができたのが、私にとっての大きな幸せだった。そして、この話を講義の一部として、切り取りオルタネティブな生き方を学生に見せている教授が本当に「かっこいい大人」だなと思った。

 

 私が大学に通っていて、よく思うことがあった。それは、「なんだか選択肢がない」ように見せられているのではないか?というものだった。ある一つの囲われた空間の中で、これしか選択出来ないみたいな雰囲気を感じていた。2017年にもなって、あらゆる自由が許されている現代の中で、選択肢がない状態なんてあり得るのだろうか?と、ただ漠然と思ってたのだ。それは、私がまだ、他の道が広がっていることを知らなかっただけだった。残念ながら、まだ、違う道やオルタナティブな生き方をしている人を知ろうとするには、遠いかもしれないけど、「いる」ことは確かなのだ。多彩な表現方法で活躍している、スーパーサラリーマン・スーパーウーマンではない生き方がこの日本にもあるのだ。一つのパンに、込められたメッセージ、一つの講義に秘められたメッセージを受信できるアンテナは3・11後の日本を生きる私にとって、一つの命綱のようなものなのかもしれないと、駅で格さんと握手をして別れた後に、ふと思ったのだ。