kanoko

起きて。食って。うんち出して。寝る。

日本大学法学部政治経済学科国際関係専門コース三年生。何も私のことわからないでしょ。だから、書きたいの。

ないものねだり

ないものねだり

 

  ないものをねだっている私。

 

 

「休学」は、なんだか理由があってだったり、

やりたいことがあったりしてするものだと一般的には認識されていると思う。

 

そんなのは、通説にすぎない。

私は、現に就職活動や仕事に、つきたくな~(今は)と思って休学を申請した。

休む学びと書いて、休学だが、逆に学ぶことが多すぎる。

この休み・・・どんな学びかって?

 

予定があるとかって、なんか良いなと率直に思う次第なのであーる。

 

毎日が自由だと、それを自由と感じない。

不自由の中に、自由があるからこそ、初めて自由な時間だと認識するのではないだろうか。

と、こんなことを日々感じて、映画を見たり、本を読んだり、スーパーに買い物に行ったりしてる。

 

そういえば、この前、学校ではない自分の「テスト」を経験した。

それは、多くの人の前で自分の経験や考えていることを話すという

 

自分にとっての「テスト」であった。

 

一ヶ月前くらいから、原稿を考えて推敲を重ねた。

でも、自分の語彙力のなさからか、全然自分が言いことが、言葉に当てはまらずに悶々としていた。

 

結果的には、

自分という若者は脱穀されていない玄米で、

大人は噛み応えのある整った白米なのではないかという導入から、

私が政治に興味を持ったきっかけ、そして「大人のシールズ推しに傷ついた」という話、

自身の経験から見えてきた世界の姿を「詩」という形で、発表した。

 

原稿は自分の精一杯で作ったが、「自分はこんなものなのか」という気持ちが、心を充満した。

 

今までの忙しい日々の中で、

気づかなかった自分の姿、

見たくなかった自分の本当の部分を

 

見ざる得ない状況に持っていけたことは「良い経験」では、収まりきれない感覚だ。

 

いくら、本を読んで、映画をみて、テレビに愚痴を吐いたって、

その自分の出来ないところが治るわけではない。

 

このことを、たくさん経験して実感を持っていたって行動にうつらない。

これを知った。いや、知っていたけど直接、真正面から対峙していなかった。

 

そんな、自分の醜い姿をこの「テスト」を通じて、知れた。

 

でも、だからといって、

すぐに行動や何かしらの処方箋を自分に打って、対処しようとは今は考えていない。

 

ゆっくり、時間をかけて、自分にとっての「その時」まで、待つ。

待つといっても、必然的に自分を逃げられない環境に置くことこそ

自分にとって良い特効薬になることを21年間で学んだ。

 

でも、やっぱりまだ休憩したい。

 

文章を書くときに、いつも「偉い」ことを書こうとするのは私の悪い癖だ。

正直に、書く。このことの方が、なんだか清い気がする。

 

タイトルの「ないものねだり」は、つくづくよく考える命題だ。

自分が持っていないもの、

自分がいない環境に、

自分の立っている場所に気を配らないで、

他人の持ってること、

やってることに惹かれる状態である

 

結局のところ、自分の立ってる「今、ここ」にしか現実は転がっていないのに。

 

だから、他人を好きになるんだろうな・・・とか思う。

 

 

「忙しい自分」も好きだし、「暇な自分」も好きになれるように、

そしてまた「テスト」がやってきた日に備えていつでも、

 

スタートできるようにウォーミングアップをまず始めるところから。ゆっくりと。

 

平日のお昼を、こんなに堪能している日々は久しぶりだ。

 

※文章に脈略はないですが、私の体内にはドクドクと脈は通っています